1976年という時代
1960年代後半から70年代前半を第一期サーフィンブームとするならば、第二期は77年から80年代前半にかけての約8年間。アメリカ西海岸のライフスタイルを提唱する雑誌「ポパイ」が火付け役となって社会現象となった程の爆発的なブームになりました。
1976年は、第一期が去ったあともサーフィンの魅力にハマった人たちは波に乗り続け、また雑誌の紹介記事や口コミで面白そうだと徐々にサーフィンをやる人たちが増え、1975年には日本にプロ組織も誕生し、これから来る大ブームのまさに夜明けという時代でした。
サーフメディア
76年にオーシャンライフの臨時増刊号として”サーフィンワールド”が創刊されましたが、それ以前の媒体は72年に井坂啓美(ドジ)氏が作られていた”SURFing”、あるいは”週刊プレイボーイ”や”平凡パンチ”などの男性雑誌での紹介記事でした。
男性雑誌での紹介記事は72年に”平凡パンチ 7/5 No.366″で赤羽根で行われた”ゴッデス杯”の取材記事の後、75年に、”サンジャック1975年7月号:Big Waveに乗る”、”週刊プレイボーイ1975年8/5号:サーフィン入門”での紹介記事がありました。
またファッション誌では、74年に”チェックメイト(講談社)創刊号”がTEDサーフボードのテッド阿出川氏や彼の友人たちがモデルとなってリゾートウエアとしてTシャツやトランクスを紹介しております。また同誌76年7月号では、サーフファッション特集を組み、湘南での街角スナップが掲載されました。”チェックメイト誌”はその後も夏前にサーフファッションや入門記事を取り上げ、この特集記事は78年まで続きました。
76年にサーフィン専門誌として初代編集長石井秀明氏の元で創刊された”サーフィンワールド”はコンテストの詳報、海外事情、インタビュー、トップサーファーの寄稿が中心で、ハウツーやファッション記事は皆無の硬派な雑誌でした。
76年にはポパイ(平凡出版)が創刊され、77年5/25号では「サーファーの街 湘南をさわる」において、湘南のショップ、ポイントなどが紹介され、その後のサーフィンブームを牽引しました。また女性誌”J J(光文社)”においても77年6月号「女の子のシティ・サーファー」、78年7月号「サーファー大研究」という特集が組まれ、全国的にファッションとしての「サーフィン」、「サーファー」が取り上げられました。一方、従来から取り組んでいるサーファーの中にはサーフィンをファッションやブームと捉えるメディアに対し否定的な意見も多くありました。
サーフポイント
当時の海岸線や海岸周辺は今とは大きく異なっていて、鎌倉エリアは砂浜が広く、藤沢や茅ヶ崎エリアの防波堤は短く、Tバーなどない時代でした。特に藤沢以西は87年から実施された「湘南なぎさプラン」で防災対策、漁港整備や河川の護岸整備、134号線の4車線化などで海岸線や海岸付近の様子が大きく変わりました。
ただ70年代から(おそらく60年代からも)80年代を通じ、いくつかのポイントでテトラが入ったり、防波堤ができたりはしたものの大きくは変わっていませんでした。
メジャーなサーフポイントの名前は76年には、ほぼ決まっていたように記憶してます。
サーフショップ
1976年当時鎌倉、藤沢、茅ヶ崎エリアには18店舗(鎌倉5、藤沢6、茅ヶ崎7)のサーフショップ(サーフアパレルも含む)がありました。湘南には60年代からサーフショップや工場がありましたが、76年頃営業していたショップの多くは、70年代に入ってからの開業でした。また湘南には自身のショップを持たないサーフボードビルダーもいて、全国のサーフショップへの卸のほか、家業の商店やサーファーが集まるスナックや喫茶店でボードをオーダーしたり、ビーチでボードを頼んだりすることもありました。
ショップにはボードやウエットスーツなどサーフィン関連グッズのほか、街中では販売されていないアメリカ直輸入のTシャツやベルト、サングラス、香水などのグッズが置いてあり、カリフォルニアやハワイのサーフカルチャーの発信基地になっていました。
ショップに入るとボードの樹脂、ウェットのラバー、ワックスやお香などの混ざった独特な香りがしていました。77年からのサーフィンブームで、82年には50店舗(鎌倉17、藤沢16、茅ヶ崎17)にまで増えました。
湘南(千葉もですが)のショップが販売するボードは自社製造、自社ブランドで、地域(ポイント)密着型なのが特徴です。そしてそこそこ上手くなると、ポイントに入るにもその地元の(少なくとも湘南の)ショップのボードが何かと都合が良かった時代でもありました。
サーフイクイップメント
サーフボード:当時の一般的なボードは、シングルフィン、長さ195cm(6’6”)、幅約50cm、ワイデストポイントがノーズ寄りにあり、テールはスワロー、ダイヤモンド、ラウンドピンがスタンダード。ウイングも一般的になってきました。スティンガーが登場してきたのもこの頃です。
一般のサーファーは一本のサーフボードをオールラウンドに使用していました。ショップにはわずかですがツインフィンも置いていましたが上級者用ということで、初級者に難しいボードとされていました。
新品のボードは9万円前後、リーシュカップやフィンボックスも装着されるようになりました。ロングボードは時代遅れになり、ほとんど製造されなくなりました。時にロングボード時代から活躍されていた先輩サーファー方のオールドスタイルサーフィンを見ることもありました。また波の小さな日には誰かの裏庭にあるのを持ち出して遊んでいたりもしてました。
まだプロやライダーの使用するボードにはスポンサーロゴはなく、ボードメーカーのロゴ(ディケール)だけの時代でした。
サーフトランクス:「海水浴に行くなら海パン」が常識の時代、サーフトランクスはちょっと慣れた感じでカッコよかった。ほとんどのトランクスには四角いワックスを入れるポケットがついていました。価格は国産が3〜4,000円、Katin, OPなどの輸入モノは6,000円前後でした。
ちなみに当時の”海パン”は今の競泳用ではなく、バミューダタイプと今で言うボクサートランクスの2種類が主流で、ジャンセンやマクレガーといったブランドで4,000円程度でした。
ウエットスーツ:湘南であれば6月から10月まではなんとか裸でサーフィンできますが、もっとサーフィンを楽しむならウエットスーツが必要になります。
通年サーフィンするにはロングジョンとビーバーテールジャケットの組み合わせが一般的でしたが、上級者は真冬になると上下つなぎになっているスパイダー(フルスーツのこと)を持っていました。サーフショップにはBody GloveやO’Neilなどのアメリカ製ウェットスーツのほかVictoryやDoveといった国産サーフィン用ウエットスーツが並んでました。
アメリカ製はRubatex社の生地を使用していて、少し銀色がかっていて格子模様が入ったもので国産のものより柔らかかった記憶があります。
私は始めた翌年の76年、夏が待ちきれずダイクマで7800円のタッパを、秋に16800円で国産無名ブランドのビーバーテールジャケットを割賦販売の緑屋で購入しました。その後77年にJSPが輸入したO’Neilの”インディアンサマー”と”アニマルスキン”というウエットスーツが発売になり、国内ウエットメーカーも同様のモデルを売り出すほど人気モデルになりました。
・リーシュ:ちょうどリーシュが普及し出した頃で、”パワーコード”と呼んでいました。多くのサーファーが使い出したのもこの頃でした。私も始めた年はリーシュなしで過ごしましたが、76年から使い始めました。
当時のリーシュはゴムチューブの中にナイロン紐が入っていて両端をアルミのリングでかしめてあるもので、ゴムチューブが伸びても紐の長さで止まるようになっていました。足首に止める方部分はベルクロにハトメを打ったもので、レールセーバーは未だなく、端のナイロン紐の輪をリーシュカップあるいはフィンに開けた穴に取り付けていました。ゴムが劣化しやすく、すぐに切断するので一年は持たなかったと記憶しています。
・ワックス:72年頃より多くのサーファーに愛用されてきたのが”WAX RESEARCH”社の四角いワックス。76年頃登場した”SEX WAX”にその後のシェアを奪われることになった。
サーフクラブ
当時神奈川県のNSAの支部は鎌倉、藤沢、茅ヶ崎の3支部。70年代前半までショップに属さないクラブチームがほとんどで、メンバーはショップやメーカーに関係なくクラブに属していました。70年代後半よりショップの増加によって顧客のためのショップクラブが増えました。結果クラブチームの人数が大幅に減少することになりました。
77年にはこの神奈川県の3支部で支部対抗戦「湘南カップ」が開催されました。80年(79年?)には平塚支部、西湘支部が加わり5支部となりました。
60年代後半から70年代前半に活躍していた湘南の主なクラブ
・鎌倉:サーフメイツオブグレミー、ブフブファ、鎌倉サーフィンクラブ
・藤沢:サーフィンシャークス、鵠沼サーフクラブ、シースパイダース、フォックスマジック、らべだべ
・茅ヶ崎:バーバリアンズ、ゴッデス、湘南サーフクラブ、パシフィック、バグ
・西湘:大磯ビッグウェーバーズ、サンタナ、カフナ
(サーフィンワールド創刊号より 1976年)
湘南サーフマップ1976
1976年はまだサーフマップやガイドブックがない時代。記憶と出来る限りの資料を調べて作ったのが「湘南サーフマップ1976」。サーフポイントやサーフショップだけではなく、ランドマークやおしゃれなレストランも出来るだけ書き込んでみました。ただ外食は東京や横浜に出かけた時くらいで、地元で食事することは滅多になく、女性誌の湘南特集を引用させていただくことが多くなってしまいました。
当時流行ってたイーグルスやカラパナ、荒井由美の曲でも聴きながら134号線をドライブした気分で眺めてくれれば嬉しいです。
🔳次回は湘南サーフマップ1976【鎌倉】