第44回 あの頃の湘南Surfing(17)湘南サーフマップ1968

第44回 あの頃の湘南Surfing(17)湘南サーフマップ1968

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1968年という時代

1966年頃からサーフィンが注目され始め、1968年には映画「Endless Summer(邦題:終わりなき夏」が日本で公開、平凡パンチでも湘南やサーフィンが取り上げられ、第一次サーフィンブームの絶頂期の年でした。

1963年ごろから日本でもサーフボードが作られ、高橋太郎氏の「ダックス(63年〜)」、米沢プラスチックの前身である「バラクーダ(63年〜)」、中村一己氏の「ウェーバー&ナカムラ(65年〜)、阿出川輝雄氏の「テッド(66年〜)」、そのほか富士工機、第一商工、進和産業がありました。主に東京で作られていたサーフボードが64年に鈴木正氏が茅ヶ崎で「ゴッデス」を立ち上げ、テッドやダックスで修行されていたサーファーたちが湘南に戻り、工場やショップを開きはじめた年でもありました。

湘南サーフマップ1968

湘南道路は逗子区間(逗子〜由比ヶ浜)、鎌倉区間(片瀬東浜〜由比ヶ浜)が有料道路で68年時点の料金はそれぞれ普通50円、小型30円、軽10円でした。料金所は逗子海岸と七里ヶ浜にありました。逗子区間は1986年、鎌倉区間は1975年に無料開放となりました。
*赤文字のショップ、レストランは解説があります。

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サーフメディア

全日本選手権プログラム(日本サーフィン連盟):まだサーフィン専門誌もなかった時代、内容は出場選手紹介、連盟加盟クラブ紹介、マナーやルール、サーフポイントなど。どちらかというと選手向けの内容でした。

SURFER誌・SURFING誌:SURFER誌は1960年、SURFING誌は1964年創刊のアメリカのサーフィン専門誌。最新サーフボード情報、テクニック、ファッションなど、記事に加えボードメーカーやアパレルメーカーの広告も貴重な情報源でした。
銀座4丁目の交差点近くにあった洋書専門店「イエナ書店」などで手に入れ回し読みしていました。SURFER誌では1964年から数回日本を取り上げた記事が書かれています。(当ブログ第32〜35回「アメリカ人サーファーが見た60年代の日本」参照)

SURFER誌 1968年5月号

海の世界(海洋協会):1954年創刊、当初は海運、海事関係の雑誌でしたが、60年代中頃からまりヨットやスキューバーなどマリンスポーツ記事が増え、1967年頃からサーフィンのコラムや大会詳報などが掲載されていました。1974年以降はスキューバー専門誌の体裁になりサーフィン記事は無くなってしまいました。

平凡パンチ:1964年創刊当初よりサーフィンを取り上げることが多く、サーフィン大会の後援も行っていました。特に1968年はサーフィンや湘南の記事が多く、サーフファッションにも注目していたことが他誌と違っていました。小林泰彦氏のイラストと解説は、60年近く経った今では写真よりもわかりやすく資料価値としても貴重な物です。当時編集にいた石川次郎氏(後のポパイ初代編集長)がアメリカンカルチャーに造詣が深い方で、当時のトップサーファーたちとの交流もあったようです。サーフィンをやったことがない、これからやってみようと思っている読者にわかりやすい内容になっていました。

サーフボード

1967年からアメリカやオーストラリアではボードが短くなる兆しがあり、いわゆる「ショートボード・レボリューション」が始まろうとしている時代でした。
日本でも69年頃からボードは年々短くなって、1968年がロングボード時代の最後の年となりました。

下画像はSurfer誌 68年3月号(左)と69年3月号(右)に掲載されていた「Gordon &Smith」の広告です。アメリカでも68年はロングの広告が多かったですが、69年には極端に短くなっています。


当時の日本で販売されていたボードのサイズは長さ9’2″(280cm)〜10’(300cm)、幅53〜58cm 重量11〜15kg で、体重がサイズの目安になっていました(体重55kgの人は9’4″〜9’6″)。
価格は国産で38000円、輸入品が10万円前後という価格。


販売店:すでに東京や湘南にはサーフショップはありましたが、都内の百貨店では5〜9月に販売されていました。関西では高島屋や大丸で取り寄せになっていました。
また緑屋や丸井などでは月賦販売で購入することができました。

大丸百貨店の広告 平凡パンチ1968年7月8日号

レンタルサーフボード

海水浴シーズンになるとサーフィン可能ビーチではボードを借りたり、コーチにサーフィンを教わることができました。
レンタルボード:1日2000円、半日1000円、1時間500円
教習料:1回4時間2000円 

ウエットスーツ

サーフィンはハワイの夏のスポーツとの考えるサーファーも多く、ウェットを着てまでとは考えていなかったようです。しかし湘南は晩夏から秋冬にかけて波が良くなることから、サーフィンの魅力にハマった一部の人はダイビング用ウェットスーツを着用していました。また浜でタイヤを燃やし暖をとりながら裸で真冬のサーフィンをされてたという話も耳にしました。

ワックス

サーフィン黎明期の63年ごろは蝋燭を代用したなんて話も聞きますが、68年にはアメリカから輸入品が入ってきてたと推測されます。
当時アメリカでは数社から販売されており、スプレー式の滑り止めも販売されていました。その中でもっともポピュラーだったのが1967年創業「SURF RESEARCH社」 の”WAXMATE”。71年に”WAX REARCH”に名前を変え、現在”Stickey Bump”を販売しています。

詳しい年代は不明だが68年ごろのWAX MATE

サーフポイント(サーフィン適地)

サーフィンブームとはいえ、まだ湘南や千葉が中心で全国で見るとそれほど普及はしていませんでした。
東京、湘南、千葉のサーファーたちが良い波を求め遠征するサーフィンサファリは盛んに行われていました。
「海の世界1967年7月号」に以下のポイントが「サーフィン適地」として紹介されています。

鎌倉:稲村、七里ヶ浜、中央、材木座
藤沢:鵠沼、辻堂
茅ケ崎:西浜
西湘:平塚、大磯、吉浜

千葉:鴨川、勝浦、太東

その他の地域:白浜(伊豆)、御前崎・浜松(静岡)、伊良湖(愛知)、五ヶ所湾(三重)、日置川(和歌山)、牟岐と室戸の間・甲浦・浦戸と桂浜の間・入野松原(高知)、日南海岸・日向(宮崎)、湯野浜(山形)

サーフショップ

当時のサーフショップではどんな物が売られていたのだろうか。平凡パンチ1968年7月15日号に小林泰彦氏のゴッデスサーフショップのイラストが掲載されており、そこにはサーフボード(68年型37000円、67年型30000円)、スキムボード(1800円)、Tシャツ(800円〜1000円)、ウェットスーツ、サンダル、トランクス、ジャンボハット、ステッカーなどの品揃えが描かれています。

小林泰彦氏によるゴッデスサーフショップ。ゴッデスのスペルが”GODEESS”の時代(平凡パンチ 1968年7/15)

◾️キティサーフボード(坂ノ下)1968年:TEDサーフボードの工場で働いていた長沼一仁氏、阿部博氏、ジミー山田氏、田沼進三氏によって立ち上げられた「キティサーフボード」。ブランド名の「キティ」は米海軍の空母”キティホーク”から田沼氏が命名。すでに閉館となっていた鎌倉水族館の建物を使いボードを製造していたが、この年に火事により消失。
70年代初頭、長沼氏は「長沼サーフボード」を、阿部氏は小川秀之氏と「ドロップアウト」を、田沼氏は出川三千男氏と「パイオニアモスサーフボード」を立ち上げました。また山田氏は76年に稲村ヶ崎に米国のサーフアパレル「カリフォルニアTシャツ」をオープンしています。

◾️BAJAサーフショップ(稲村ヶ崎)1968年頃〜1970年頃:TEDサーフボードでシェープをしていた辻堂の松本邦生(くにお)氏のショップ。”BAJA”は当時「バハ」ではなく「バジャ」と呼んでいたようです。松本氏は70年ごろ辻堂で林利夫氏と「ハザードサーフボード」を立ち上げました。

◾️ウエストコースト(鵠沼海岸)1968年頃〜1972年頃:1967年全日本チャンピオン鈴木三平氏が立ち上げた鵠沼で最初のショップ。寒川にある旭ファイバーグラス内に工場がありました。70年代中頃には東京にショップがありました(移転時期不明)。小川修一氏、田沼進三氏、出川三千男氏もここでボード製造に携わっていました。

◾️ゴッデス(辻堂)1967年〜現在:1967年にゴッデスのライダーだったマーボーこと小室正則氏が家業の焼き鳥屋の一角で始めたショップ。当初ゴッデスの看板を掲げていましたが69年頃に「Maboサーフショップ」に変わりました。(上記イラストのお店)

◾️湘南サーフショップ(茅ヶ崎)1964年〜現在:鈴木正氏のサーフショップ。1964年茅ヶ崎球場敷地内にある「スナック・サーフィン」の隣に工場を併設したショップをオープン。70年頃にショップは名前を「ゴッデス」に変え中海岸通りに、工場は甘沼に移転しました。その後ショップは73年頃に現在の134号線沿いに移っています。「湘南サーフショップ」の名前は現在鵠沼店で残されています。

ファッション

「VAN」に代表されるアイビールック(アメリカントラッド)が流行っていた時代、アイビーをベースにしたサーファー風着くずしが、ヨットマンのアイビーリゾートファッションとは違う”らしい”かっこよさがありました。


平凡パンチ(1968年7月15日号)のサーフィン特集ではサーフ・ライダー・ファッションについても言及していて、「素材はコットン。そしてデザインは全体にペラペラでダブダブという感じのが多くて、一般のタイトなおしゃれとは対照的」とあります。

◾️髪型:アイビー風七三分けやスポーツ刈りといった短髪が基本。69年からヒッピー文化が入り、日米とも長髪のサーファーが増え始めた。

◾️Tシャツ:当時街で売っていたのはメリヤスUネックの下着という時代。アメリカ製の首周りがしっかりしてちょっとダブっているのがオシャレで、主に「ハンセン」や「デューイ・ウエーバー」などサーフボードメーカーのバックプリントや花柄プリント、足跡マークの「ハングテン」なんかが人気でした。
下画像はSurfer誌68年9月号に掲載された「Weber Surfboards」社のTシャツ通販広告

◾️ボトムス:夏はサーフトランクスかダブダブしたバミューダ。冬はホワイトジーンズ(ストレートかスリム)。

◾️トランクス:まだ海パンしか売っていない時代、ケティンやバードウェルはまだ輸入されておらず、Surfer誌に掲載されている広告を見て自作したりしていたようです。その平凡パンチの記事では、サーフショップで販売しているトランクスは近所の主婦が作っているとあります。またTVドラマ「わんぱくフリッパー」で主人公の兄弟が着ていたジーンズを膝丈に切ったものを履いていた人もいました。

◾️シューズ:アメリカ製の「コンバース」や「ケッズ」、特に「ケッズ」はSurfer誌に広告が出ていたので人気でした。国内のメーカーからそれらと似たような商品が出ていて”バッシュ”や”ズック”とか呼んでいた記憶があります。

◾️ゴムゾーリ:まだウレタン(EVA)製のビーチサンダルはなく、ゴムでできた元祖「ゴムゾーリ」でした。

レストラン情報

モータリゼーション到来で東京から湘南へのドライブが人気になってきた時代ですが、当時はまだ「ぴあ」のようなエリアガイドや「anan」、「non-no」といった旅行、グルメ特集をする雑誌もありませんでした。そんな中、「メンズクラブ」1968年7月号に「湘西ドライブウエイ(え・峰岸 達/文・寺崎 俊)」という若者に人気のありそうなレストランを紹介する記事がありました。

寺崎氏の解説文がお店の雰囲気を絶妙に表現され、また当時を偲ばせてくれる文章表現であるため、そのまま引用させていただくことしました。ぜひ文章を味わってみてください。
なお「湘西」という言葉はあまり聞きなれない言葉ですが、記事の内容から茅ヶ崎あたりのことを指すようです。(記事は茅ヶ崎から鎌倉に向けて記されています)

〜ハンサム・タウン 湘西ドライブウェイ〜

◾️キャバナ(茅ヶ崎):湘西随一の名門で、ロッジ風な造りと開放的なテラスがごきげんで、かっこいい男の子たまり場として人気がある。
ここの魅力は、何といってもその気軽な雰囲気で、文学青年、恋を語る二人、陽灼けした一群…と、圧倒的に空気は若く、とけこみやすい。
料理も比較的割安で、オニオン・グラタン(250円)、ピッツア(350円)などは味、ボリューム共に申し分ない。
嬉しがらせたのは、さりげなくテーブルに置かれたナプキン・スタンドで、銅製のどっしりとしたこれは、何の飾りけもなく、ひなびていて美しい。
重量からみて、船舶用のものだろうが、そのオーセンチックな形と色は、クラシック好みをうならせる。
隅に小さく《マラソン・ア・ディビジョン・オブ・アメリカン・キャン・カンパニー》と彫られていた。
一個欲しくなっちゃうんだな。これが。

◾️スナック・サーフィン:名の通り、サーファーが好んで集まるスナックで、前庭に無造作に置かれたサーフ・ボートや派手に塗りわけられた建物はビーチ・ハウスのイメージそのままで、マイアミあたりにも、きっとこんな店があるのではないか…と、そんな感じを抱かせる。
深夜営業というのも嬉しい。ファン同士、徹夜で波乗り談義というところか。
正面に大きく描かれた足形を目印に。

◾️パシフィック・ホテル(茅ケ崎):湘南一の威容を誇るパシフィック。ホテル、ドライブ・イン、ボーリング(26レーン)、ビリヤードなど、要するに遊ぶものならなんでもある仕掛けで、温水プールも勿論完備というデラックスぶり。
アーケード”プチ”は、加山雄三君の妹さんが経営する洋品店で、水着からアクセサリーなど、カラフルなブチックがどっさり。
手ぶらで出掛けてきて、ここで誰かさんに水着のプレゼント…こんなのもイキなプレイにはなる。
地上十階のレストラン、太平洋を眼下に見ながらの食事も優雅なもの、しかし外人さんも多いホテル、マナーも本格的、ゴムゾーリなんかでは断られるのがオチです。

◾️サニー・サイド(鵠沼):本格的なモーテルも目立ちはじめたが、ここ鵠沼新道近く、カーロッジ・サニー・サイドもその一つ。
一泊料金、お二人様2,750円をフロントで支払い、キーを手にすればシャワー、トイレ、クーラー付きの洋間は自分だけのもの、翌朝11時のチェック・アウトまで、愛を語ろうが、単語の暗記に励もうがそれは自由、存分にプライベート・タイムを満喫できる。
フロント2階はレストラン。午前3時までダートに賭けたり、リズムに酔ったり、キャンドルの明りだけのロマンチックな食事は、相当現実的な野郎でもふと人恋しくなる。
昼間の太陽とはうらはらに、ここはオレンジ色にくすんだナイト・ライフがある。

◾️チック・タック(鵠沼):赤煉瓦の地中海風建物で、一階がスナック、二階がレストラン。
スナックが楽しい。
ゲームマシンのはしごでもやりながら、熱いコーヒーを流しこむ。
知らない連中と仲良くなる頃には、潮騒も遠のくことになる。
湘南で嬉しいのは、大体深夜営業をしていることと、ほとんど年中無休、すなわちいつどこに目星をつけていっても、休みでがっかりすることがないことだ。
日本のリゾート・エリアも、ヨーロッパなみになってきたということなのだろう。

◾️トルネード(鵠沼):江ノ島に近く、牛の頭をデザインしたマークのあるレストラン。
トルネードの名からも判るように、肉料理がご自慢で、ロースト・ポーク(600円)、トルネード・ステーキ(1500円)などが味の良さで知られている。
こんな店では、上等のワインと料理もフル・コース、夜の海でも眺めながらじっくりと楽しむのが本格的で、コーヒーだけの素通りというのではミミッチくて面白くない。
せいぜい金をかけ、アカプルコで豪遊しているくらいのキザな想像でもしながら楽しんだほうが遊びの密度も濃くなる。

◾️フラミンゴ(鵠沼):料理も格式も一流と言われるフラミンゴ。
外人親子が本格的食事にあらわれるのも大抵この店で、高級な層が多い。
フトコロに余裕があるのなら、ゴージャスな雰囲気、一流のサービスで食事をしてみるのも夏の楽しみとして意義はある。
肉料理、魚料理とも500円以上、ステーキ(2000円)、夜定食(1800円)とちょっと痛いが、エレクトーンの甘い囁きに一夜を豪華に送ってみるのもわるくはない。
となると、どうしても可愛い相棒があった方が一層効果はあがるのだが…。
この界隈は夜がいい、できればさっとシャワーでも浴び、ダーク・スーツにでも着替えて出掛けるならなお結構、遊びでもズバ抜けてくる。
昼間の賑わいがうそのように引いてしまったこのあたりは、サミー・デービスが歩いていても不思議に思えないような、一種ファンキーなムードが流れ、日本であることを忘れさせる。

◾️エスカルゴ(片瀬海岸):マリーンランド前のエスカルゴは、文字通りカタツムリを食べさせる店で、リラックスな雰囲気は親しみやすい。
殻に入ったエスカルゴを、特殊な道具ではさみ、細長い変形フォークで食べる(一皿・500円〜)。
ボリュームはとも角、話のネタに一度ためしてみて損はない。

◾️江ノ島オデン・センター:エスカルゴの隣、これこそ大衆的、安心して飛びこめるブロックである。
提灯とノレン、立ちのぼる湯気、水着裸足のままかけこむこともOK。
一箇所に18軒、オデン屋ばかりが顔をならべている風景は壮観そのもの、同じ造りで料金も統一協定、どこへ入ろうか…と迷う
結局、美人のオネエサンがいるお店へ自然足が向いたりして、それも夏の愉しみ、オデン・センターならではの味わいだ。

◾️サンゴ(江の島):江ノ島大橋を渡って右、日本建築が多い中に、ひときわモダンなサンゴ。スパゲッティが評判で、夜は日中の騒々しさとはうってかわって人通りも少なく、静けさでは随一。海に映った対岸の明かり眺めながらの夜食。ロマンチックでホロリです。

◾️ヴィナス(稲村ヶ崎):湘南ルート唯一のワイキキ・ムードの店。シーズン中はハワイアン・バンドがたえず出演し、海のムードを一層高めてくれようという寸法。
ひと泳ぎのあと、気軽ないでたちで寄ってみるとよい。ガラス張りのホールは茅ヶ崎方面のイメージとはうってかわってぐっとアメリカ的、トロイ・ドナヒューあたりがアロハがけでいっぱいひっかけている…そんな雰囲気にあふれている。

◾️大海老(鎌倉・由比ヶ浜):大きくて豪華で十年の伝統を誇っている大海老。文字通りエビが売り物で(1000円前後)一品料理から定食まで、これすべてエビずくめ、味も天下一品、大いにたんのうできる。
モダンなハンサム・コーストの中で、ひときわ古めかしい老舗もオツなもの、トラディショナル野郎としては見過ごせない店だ。
パーキングは奥の出光スタンドへ。

◾️シー・キャッスル:大海老の裏”ドイツ家庭料理・年中無休”というネオン看板はいやでも眼に入ります。まことにザックバランな店で、押入れや敷居をそのままに、まるで自分の家にでもいるような団らんムード、にもかかわらずドイツ人可愛こちゃんが何くれとなくサービスしてくれるともなれば、心はドイツの片田舎、ポテト料理もドイツの味で、ついその気になってしまう。

◾️エスカール(材木座):小さいからと見逃せないのがエスカール。料理(フランス料理)ウェイターのマナーの良さなど高級むきだが、コーヒー二百円程度、ホテル並みの料金。エスカールとは”寄港”の意味、扉につけられた舵輪、室内もコンパスやブイなど、船舶用具がいっぱい飾られ、シーサイド・レストランとしての演出も見事、夏の海を愉しもうという期待には充分こたえてくれる。

以上「メンズクラブ」1968年7月号より
*「サンゴ」は江ノ島大橋を渡ってすぐ右ではなく、道なりに進んで右側にありました。

サーフクラブ

ショップもちらほら出始め、デパートや月賦販売店で手に入るとはいえ、まだまだ値段は高かったこの時代、何人かでボードをシェアしたり、移動のためクルマに分乗したりとクラブに入る意味合いは大きかった時代でした。

まだショップの数も少なく、ほとんどがショップやボードメーカーの垣根を超えたクラブチームでした。
また全日本選手権への出場はクラブに入らねばならずクラブが増え始めた時代でしたが、ほぼ湘南、千葉、東京に絞られていました。
サーフクラブは各地でサーフィン教室を開催して普及に努めていました。

当時の日本サーフィン連盟の大きなイベントは2つ、シーズン前の「サーフィン・フェスティバル」と秋の「全日本選手権」でした。
「サーフィン・フェスティバル」の競技種目は”パドルリレー”、”ラン・スイム・パドル”、”仮装サーフィン大会”でシーズンの幕開けを飾る楽しいイベントでした。

「サーフィン・フェスティバル」にしても「全日本選手権」にしても支部対抗というより、クラブ対抗の意味合いがつよく、第2回の全日本の団体優勝は「サーフィンメイツオブグレミー」でした。

1968年 日本サーフィン連盟加盟チームは以下の28クラブ。
第3回全日本選手権(七里ヶ浜)は湘南で初めての大会となりました。

鎌倉支部:サーフィンメイツオブグレミー、サーフィンズブレイバー、サーフィンクラブマカハ、ブフブファサーフチーム、ウェイブハンターズ

鵠沼支部:サーフィンシャークス、鵠沼サーフクラブ、シースパイダースサーフィンクラブ

茅ヶ崎支部:大磯ビッグウェーバーズ(大磯)、バーベリアンズサーフィンクラブ*(茅ケ崎)、湘南サーフィンクラブ(茅ケ崎)、パシフィックサーフライダー(大磯)、CCライダーサーフチーム(平塚)、ハングテンサーフクラブ(平塚)、ゴールデンレプルスサーフィンクラブ(茅ケ崎)
*:今はクラブ名「バーバリアンズ」ですが当時のプログラムや資料には「バーベリアンズ」となっていたのでこちらを記載しました

千葉支部:マリブサーフィンアソシエーション、ペンギンサーファークラブ、フェローサーフィンクラブ、内房サーフィンクラブ、岬サーフィンクラブ、鴨川ドルフィンズサーファークラブ

東京支部:ダックスサーファーズクラブ、ホワイトデューンズ白浜サーフィンクラブ、プライムサーフィンチーム、テッドサーフチーム、ゲェティーサーフィンチーム、

山形支部:ゆのはまサーフィンクラブ

茨城支部:マッドサーフィンクラブ

参考文献
「第3回全日本サーフィン選手権プログラム」日本サーフィン連盟
「鎌倉市明細地図 昭和42年度、43年度、45年度版」明細地図社
「藤沢市明細地図 昭和41年度、43年度、44年度南部版、46年度南部版」明細地図社
「茅ヶ崎市寒川明細地図 昭和43年度、44年度、46年度版」明細地図社
「メンズクラブ1968年7月号」婦人画報社
「海の世界1967年7月号」海洋協会
「平凡パンチ 1966年7/4、1968年6/3、 7/7、7/15、7/20」平凡出版
「サーファーズジャーナル13.2 2023年」アウトドア・ジャパン・メディア