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湘南サーフマップ1976【藤沢】
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記事は1976年に遡って書いています。また*印は2023年時点の注釈です。
サーフポイント1976【藤沢】
江ノ島以西はサンドボトム。台風や強いオンショアによって形成されるサンドバーによって波質が変化する。
波のない日が何日も続き、やっと波が上がれば直線ダンパ。藤沢が良い時は鎌倉茅ヶ崎はもっと良い。それでも「ここが好き」というのが鵠沼、辻堂の波。
・ヨットハーバー(湘南港):江ノ島大橋を渡って左側の岸壁に沿って崩れるレギュラーウエーブ。橋の下までライド可能。海底にガラス瓶やゴミが散乱しているので足を着けない方がいい。ギャラリーが立つその横で波待ちするという変わったポイント。
・大六:1967年に鵠沼サーフクラブの遠藤大六さんが開拓したポイント。江ノ島の西側から弁天橋に向かって崩れるレギュラーポイント。鵠沼一帯がクローズアウトするくらいのサイズになっても大六やマリンランド辺りまで来るとサイズダウンして落ち着いた波になる。*1
・レストハウス前:「東急レストハウス」の前
このポイントの歴史は古く1962年、アメリカ空軍のパイロットがここでサーフィンをしていた。それを見た佐賀亜光氏らが彼らにサーフィンを教わり、この地でサーフィンを始め、日本で最初のサーフィンクラブ ”サーフィン・シャークス”を結成した。*2
・鵠沼:引地川河口の東側。湘南で一番東のリバーマウス。河口に砂州がうまく着けばチューブを巻くパーフェクトな波になる。
・プールガーデン前:引地川河口の西側、小田急プールガーデンの前。藤沢支部の支部予選が行われるポイント*3
・スエヒロ前:「ステーキハウス スエヒロ」の前。鵠沼と辻堂の中間地点で駐車場がないため人は少ない。平日は海岸に誰もいない。プールガーデン前で入って流されてくるサーファーも多い。
・辻堂:県営駐車場から134号線の下をくぐって出た所。海に向かって右側をライト、左(交番の前)をレフトと呼ぶ人もいる。*4
・クソ下:汚水処理場の前、海面に茶色い泡状の物が浮いていることが多い。大雨のあとは避けた方がいいと言われている。
注釈(2023)
*1 今ではサラリーマンサーファーは珍しくありませんが、当時はサーフィンと会社員を両立するのが難しい時代、遠藤大六氏はサーフィンでも大手広告代理店のディレクターとしても活躍されてた方です。
ここは今はグーフィーのポイントになっているようですが、当時は橋桁に向かうレギュラーポイントだったような記憶があります。滅多にたたないポイントのためか、紹介記事や写真は少ないが、78年頃はレギュラー、2000年頃にはグーフィーのポイントとして紹介されています。
当時は境川河口に一本の防波堤だけだったが、今はその一本が伸び、さらに長い防波堤が西側にもう一本追加されています。河口周辺は漁港が整備され、70年代、80年代から大きく変わっています。
江ノ島にかかる橋は2本あって、車道が江ノ島大橋、歩道が弁天橋。
*2 「Kugenuma Story(SM Vol.3 No.4/1980)」を参照。サーフマガジン1980年8月号に掲載された「Kugenuma Story」は鵠沼を代表するサーファー、佐賀亜光氏、山崎市郎氏、青木盛安氏による寄稿記事。黎明期から第二期サーフィンブームの鵠沼が語られている。
*3 支部予選や5クラブ対抗戦の会場となる「プールガーデン前」は、藤沢サーファーのホームグランド的存在。
今では「スケパー前」と呼ばれているが、スケートパークが2022年に営業終了。今は整地され新たなスケートパークに生まれ変わろうとしている。2024年開業予定。
*4 当時「辻堂」といえば、駐車場から出て橋をくぐったところがメインだった。この場所が一番良かったからだと思う。80年頃には「正面(サンズ前)」や「船小屋前」、「公園前」などの名称も使われるようになっていた。「辻堂レフト/ライト」は「週刊プレイボーイ 1975年8/5号 サーフィン入門」で紹介されている。
***鵠沼には、「湘南学園」という学校があり、多くプロサーファーを輩出し、黎明期においては卒業生や当時の在校生が日本のサーフィンの礎を築き、その後のサーフィンの発展に貢献してきた。
サーフショップ1976【藤沢】
①パイオニアモス片瀬店:江ノ島と藤沢を結ぶ片瀬街道の中間、諏訪神社の向かい。稲村店と同じ「マリンプラスチック」の経営。稲村店よりボードのラインナップが豊富。シェーパーは出川三千男プロと善家誠プロ。*1
②スティーマーレーン:松浪交差点から少し江ノ島よりの松林の中にある小さなショップ。*2
③パイプライン:カリフォルニアのスターサーファー、デビッド・ヌヒワの鷲のマークでお馴染みの坂本昇プロのお店。”ベネットフォーム”というサーフボードブランクスも製造し、各サーフボードメーカーに卸している。
坂本プロのほか添田博道プロがテストライダーを務めている。*3
④ポイサン:高梨秀雄さんのお店。高梨さんは三浦雄一郎のスキーチーム”スノードルフィンズ”のメンバーであるプロスキーヤーでもあります。
⑤マーボー:マーボーこと小室正則プロのお店。あの稲妻マークで有名なライトニングボルトの板やグッズを販売しています。シェーパーは植田義則プロと上杉俊司プロ。
⑥JSP(ジャパン・サーフィン・プロモーション):斎藤鉄太郎さんが設立したサーフィン関連の卸問屋さんで、ショップもある。主に海外のサーフ関連商品やボード用資材を扱っているほか、ボードやTシャツなどの小売もしている。
サーフボードは自社製造でシェーパーは小林正明プロ(クリエイション/オニール)、林利夫プロ(グレイチューブ/アイパ)、青田琢二プロ(マジックショット/OP)、伊東満プロ(ダ・バード)。
注釈(2023)
*1 「パイオニアモス」は77年に松浪交差点近くに「MOSS鵠沼」がオープンし、しばらくは片瀬店、稲村店、鵠沼店が営業していたが、片瀬店は79年頃閉店、稲村店は81年に同社がライセンスを受けた”McCoy”ブランドになった。
*2 現在鵠沼橋近くにあるサーフショップ「スティーマーレーン」に当時の看板が掲げてある。
*3 「パイプライン」は77年に辻堂店がオープンし、2店舗で営業していたが、80年頃鵠沼店が「アングロハワイ」に変わった(81年頃閉店)。78年にはSESSIONというウェットスーツも製造していた。
*** 通称”サーファー通り”と言われる134号線の交番前交差点から辻堂駅までの昭和通り、当時は駅近くに「マーボーサーフショップ」があるのみ。
77年に駐車場裏に「SURF&SANDS(JSP)」と「パイプラインサーフボード辻堂店」がオープン。79年には「ボルトプロショップ(現マーボーロイヤル)」、「ジェリーズ」、「クゲヌマサーフボード」、「ゴールドコースト(ゴッデス)」がオープンし、「ポイサン」が浜見山から相工大(現湘南工科大)前に移転。
その後も次々とショップがオープンし、82年にはこの通りに10軒のサーフショップが展開するに至った。→詳細は「あの頃の湘南 1982」で。
*** このほか当時の藤沢のボードビルダーに山崎市郎プロの「イマジネーション」がありました。
*** 77年にオープンしたサーフショップは「サーフ&サンズ」、「パイプライン辻堂店」、「モス鵠沼店」、「レッドウェーブ」
サーフクラブ1976【藤沢】
NSA藤沢支部に加入しているクラブは5クラブ
・マーボーレディース
・パイプラインサーフクラブ
・らべだべサーフクラブ
・湘南サーフィンクラブ
・鵠沼サーフクラブ
注釈(2023)
***77年に「第1回5クラブ対抗戦」が行われました。
***60年代鵠沼3クラブと言われた「サーフィンシャークス」、「鵠沼サーフクラブ」、「シースパイダース」のうち鵠沼サーフクラブ以外は76年には活動されていなかったようです。
ランドマーク・レストラン・ショップ情報1976【藤沢】
・鵠沼プールガーデン:昔はプールの中に海賊船が置いてあったが、73年から親子亀になった。*1
・ケンタッキーフライドチキン:江ノ島店は1971年オープン、国内フランチャイズ1号店。ケンタッキーが日本に進出してすぐにできたお店。また辻堂店もその後すぐにオープンした。*2
・デニーズ:1974年6月にイトーヨーカ堂藤沢店ができた時にオープンしたアメリカンレストラン。コーヒーはお変わり自由。デニーズの1号店が同年4月にオープンした上大岡店だから2号店ではないかと思う。デニーズコンボとパティメルトがおすすめ。7時から11時まで営業している。*3
・東急ハンズ:今年11月にイトーヨーカ堂の斜向かいに東急ハンズというお店がオープン。日本ではなかなか手に入らないアメリカの珍しい雑貨やアクセサリー、ジッポーなどが置いてある楽しいお店です。*4
・藤沢市民会館:サーフィン映画の上映場所。上映の日のロビーはサーフィン界の社交場となる。「映画の後はデニーズで食事」でカリフォルニア気分。*5
・東急レストハウス/小田急ビーチパレス/シーサイドパレス:70年代初め頃まで夏は海水浴客で賑わっていたが、冬に人は来ないし建物は錆び付いていて今では60年代の遺物となっている。*6
・太陽の広場:野外ステージの壁はテニスの壁打ち、ステージ側面は投球練習に最適。よくプロスケートボーダーのデビルマン西岡プロが壁側面でローラーコースターの練習をしている。*7
・エスカルゴ:江ノ島に古くからあるフランス料理のお店【エスカルゴ(5個1000円)、ビーフシチュー(1600円)、サザエの壺焼き(450円)*8】
・ビアンカ:鵠沼海岸にあるイタリアレストラン。【イタリア風雑炊(550円)、カネロニ(700円)、魚介類のグラタン(500円から)*9】
・三笠会館:1973年にオープンした銀座にある三笠会館の支店。【ほろほろ鳥のフォアグラ詰めマディラ酒蒸し(3000円)*8】
・シーサイド雅叙園:71年にオープンした雅叙園の支店。全日本レディースクラスのチャンピオンでマーボーさんの奥さん小室真理子さんのご実家が経営されているレストラン。*10
・スエヒロ:73年オープンのステーキで有名な銀座スエヒロの支店。*11
・城門:相工大近くにある中華料理店、名物はひき肉、ザーサイなどが入った城門ラーメン。
・ハンブルグ:相工大前にあるハンバーグ屋さん。店内にサーフィン映画のポスターが飾ってあって地元サーファーに愛されているお店です。
・飛騨:辻堂の住宅地の中にある、堀さんがオーナーの和食屋さん。味噌煮込みうどんが美味しい。湘南のプロサーファーはもちろん来日中の海外プロサーファーもよく来ている。
・おでんセンター:もともと江ノ島界隈で小屋や屋台で営業していたおでん屋さんが東京オリンピックの整備で何ヶ所かに移転させられ、辻堂では63年に16店舗が移転してきたのが始まり
海側より「寿竹/みくに/なぎさ/あけぼの/きらく/つるの/お富さん/お富さん」道路を挟んで「マイアミ/ふじ/ひげでん/みはる/松王/希望亭/秀つま/さつき」
注釈(2023)
*1 鵠沼プールガーデンは1961年開業、2001年営業終了。その後スケートパークになったが2022年営業終了となった。開業当初はプールから海岸に出れて、海水浴も楽しめた。70年代初め頃までは、東京から多くお客さんが来ていて地元の小中学生ばかりの八部公園のプールより華やかだった。
*2 2023年の今、湘南の地からすっかり姿を消した「ケンタッキーフライドチキン」。日本に上陸して間もない70年代初めには湘南一帯に展開してました。当時の店舗はアメリカと同じ、白/赤のストライプの三角屋根。KFCやケンタと言う言葉はまだなく、”ケンタッキー”だった。
*3 「デニーズ」はイトーヨーカ堂藤沢店の1階にあって、まだ窓やドアの跡は現在も残っている。アメリカの香りがするおしゃれなレストランだった。まだファミレスという言葉は存在しなかった。
*4 1976年11月、藤沢に「東急ハンズ1号店」としてオープン、2006年閉店。
*5 市民会館のほか労働会館などを使っていたと記憶。通常小ホールが使われていたが、80年頃のブームでは大ホールが使われていた。オープニングの歓声と休憩時間の抽選会が懐かしい。
*6 1957年の「湘南海岸公園計画」で作られた東急レストハウス(1959〜1989)、小田急ビーチハウス(1960〜1991)、シーサードパレス(1958〜1991)は客の減少や施設の老朽化が進み、80年頃には全ての施設が営業終了。「湘南なぎさプラン」で90年前後に取り壊された。
*7 90年ごろには壁打ちで壁面のレンガが剥げ落ちるということで、立ち入り禁止になった。
*8 「遊びとおしゃれの最前線湘南(JJ 1976年8月号)」を参照
*9 「海辺はもう初夏(non-no 1975年5/5号)」を参照
*10 「シーサイド雅叙園」今はマンションになっています。
*11 「スエヒロ」は2002年に閉店
参考文献
「藤沢市明細地図(南部版)52年、53年、(北部版)51年」明細地図社
「サーフィンワールド(SW)Vol.1 No.1/1976、Vol.5 No.2/1980」オーシャンライフ社
「サーフマガジン(SM)Vol.2No.3/1979、Vol.3 No.4/1980、Vol.3 No.6/1980、 Vol.4 No.4/1981」サーフマガジン社
「月刊アングル 79年5月号」主婦と生活社
「ポパイ1977年5/10号,5/25号、1978年6/20増刊 the Surf Boy1978」平凡出版
「スポーツノート④サーフィン」1978年 鎌倉書房
「月刊アングル 79年5月号」主婦と生活社
「GORO 1976年6/24号」小学館
「週刊プレイボーイ 1975年8/5号」集英社
「JJ 1976年8月号」光文社
「non-no 1975年5/5号」集英社
🔳次回は湘南サーフマップ1976【茅ヶ崎】