第10回 The Innermost Limits of Pure Fun

第10回 The Innermost Limits of Pure Fun

1970年にアメリカで作られたサーフムービーは、”Pacific Vibrations”,”Cosmic Children” そして”The Innermost Limits of Pure Fun”の3本。どのサーフムービーもサーフカルチャーの転換期に相応しい素晴らしい作品ですが、とりわけこの「インナーモスト・リミッツ・オブ・ピュア・ファン」はジョージ・グリノーが起こした様々な、しかも大きな変革をこの映画で伝えています。

The Innermost Limits of Pure Fun Flyer
こちらは当時のポスターではなく、ビデオ化されたときのチラシ。映画ではタイトル画面に現れるアート

ジョージ・グリノーは、マグロの尾びれをヒントに、細長いフィンをデザインし、自身がシェープした非常に短いニーボードに付けて、波の上を縦横に動くサーフィンをしていました。そのフィンの形状が現代のフィンのベースとなっています。

ジョージはロサンゼルス、サンタバーバラに住んでいましたが、オーストラリアを訪れた際に彼のニーボードサーフィンを見たボブ・マクタビッシュらオーストラリアのサーファー達がスタンドアップボードに取り入れ、縦への動きとターンによる加速でよりラジカルな明らかにハワイやカリフォルニアのとは違うオージースタイルのサーフィンへと発展するきっかけとなりました。

またジョージはこの作品で、背中に担げる魚眼レンズを装着したカメラを自ら作成し、自身がサーフしながら、チューブの中からの映像を撮影しました。作品のラスト9分間はこのカメラの映像がサントラ盤 ”Coming of the Dawn”と伴に流れます。この手法は73年にグリノーとアルバート・ファルゾンとの合作「クリスタル・ボイジャー」の最後、ピンク・フロイドのエコーに乗せて流れる映像にも使われています。

この作品は、ナレーションがなく全て映像とオリジナルサウンドのみで表現しています。またハワイのシーンはなく、あまり日本では馴染みのないサーファーもフューチャーされています。主なサーファーは、ボブ・マクタビッシュ、ゲイリー・キーズ、クリス・ブロック、ラッセル・ヒューズ、ディッキー・ネルソン、ダニー・ハザード、ロバート・コネリー、テッド・スペンサー、デビット・トレラー、ジョージ・グリーノなどです。

ジョージはこの作品のサウンドを友人のミュージシャンでサーファーでもあるデニー・アーバーグに依頼し、彼の友人達が集められました。レコーディングエンジニアにデニス・ドラゴンを起用し、彼はドラムのメンバーとしても参加しています。FARMと名付けられたバンドはこのサントラ盤の制作だけで活動を止めることになりましたが、メンバーはその後バド・ブラウンの「ゴーイング・サーフィン(73年)」、ハル・ジェプセンの「ア・シー・フォー・ユアセルフ(73年)」、「スーパー・セッション(76年)」、「ゴー・フォー・イット(81年)」などのサントラ盤の製作、ビーチ・ボーイズや他のバンドのツアーに参加するなど多方面で活躍することになります。またデニー・アーバーグは自身の経験をもとに映画「ビッグ・ウエンズデー」の原作を書いています。

「インナーモスト・リミッツ・オブ・ピュア・ファン」はサントラ盤がリリースされていて、オリジナルのアメリカ盤は白無地ジャケットの片面にシールを貼ったもので、1,000枚しかプレスされておらず、大変レアなものです。またオーストラリア盤も何枚プレスされたかは不明ですが、同じくレア盤となっています。こちらのじゃけっとはジョージ・グリノーの水中画像が使われています。アメリカ盤B面−1の「The Eater」はオーストラリア盤では「V12 Cadillac」に替わっていますが同じ曲です。*エム・レコードのCD解説では”The Eater(大食い)”はジョージの所有するキャディラックでガソリンを大量に消費することから名付けられたようです。

The Innermost Limits of Pure Fun Original Soundtrack U.S.Issue(left), AU Issue (right)

オリジナルのLPはなかなか手に入りづらいですが、エム・レコードからCDが出ています。アーバーグやデニス・ドラゴンのインタビュー記事もついていて内容の濃いアルバムになっています。またオーストラリアでは復刻LPも出ています。(終)