東京八王子に「東京サマーランド」ができたのが1967年(昭和42年)7月8日。世界最大のドーム施設で、最大の目玉が「波の出るプール」。
「サーフィン百科事典(マット・マシュー著)」によると世界最初のウエーブプールは1934年、ロンドン ウエンブリースイミングプールにできたものだが、サーフィンの出来るプールとしては、サマーランドが世界初とあリます。
この世界初の人工サーフィン場を当時厚木基地に駐留していたスティーブ・ペリン氏がレポートし、Surfer誌1967年1月号に寄稿しています。
マリブ出身のぺリン氏は、マリブサーフィングアソシエーション(MSA)の創設メンバーのひとりで、弟のジョジョ・ペリン氏は60年代から70年代にかけてデューイ・ウェーバーのライダー兼シェーパーでもありました。
ペリン氏はテッドサーフボードのテッド阿出川氏とも親交があり、その様子はTED SURF SHOP BLOG 「落第生のわだち第2話」で述べられています。
https://tedsurf.com/blog/落第生のわだち%E3%80%80第二話/
以下Surfer誌Vol.8 #6(1967年1月)に掲載されたペリン氏のレポートです。
SURF・A・TORIUM
文、写真:スティーブ・ペリン
東京近郊の八王子に世界最大のアストロドームができました。テキサス州ヒューストンのものよりさらに大きなドーム施設です。この5階建てのガラス(*1)と鉄骨でできたドームにはティールームやゲームセンター、12000本の熱帯植物があり、ダンスや水泳、サーフィンが楽しめる施設になっています。数あるアクティビティの中でもサーフィンが一番人気ということで、日本の人たちはこのドームを「サーフ・ア・トリウム」(*2)と呼んでいます。
世界で最もクリエイティブな日本人は、将来サーフィンが成長するスポーツであることに気づき、一年中サーフィンを楽しむため、高度な技術力で最先端のウェーブマシンを開発し、屋内型サーフィンプールを作ってしまいました。
サーフィンプールは幅36.5メートル、長さ60メートルの大きさで、1時間に一度プールで遊んでいる人をプールサイドに上げ、その間15分間サーファーに解放されます。
ー中略ー
サマーランドのオーナーたちは、サーフィン経験のある私に感想を求めてきました。私はこのウェーブプールの出来が素晴らしいことと、今後内陸部でもサーフィンブームが起き、そして人工サーフィン場での初の大会が日本で開催されることになるだろうと伝えました。
私がサーフ・ア・トリアムを訪れた時、プールには6人のサーファーがいましたが、誰ひとり海でサーフィンしたことはありませんでした。ただ彼らはとても熱心で、日本の人気スポーツである野球や柔道、水泳、バレーボールにすぐにサーフィンも加えられることでしょう。
サマーランドのオーナーは私にデモンストレーションをしないかと言ってきました。あまり見せびらかすのは好きではなかったのですが、より経験豊富なサーファーが人工波に挑戦する姿を日本人に見てもらう良い機会だと思い引き受けました。
プールは解放され、1万人の観客がこのスポーツを観戦してくれました。私がライディングするたびに歓声と拍手が沸き起こりました。もちろん日本語は分かりませんが、本当に興奮していることは伝わりました。波はワイメアサイズというわけにはいきませんが、海からかなり離れていることを考えれば、十分楽しむことができました。
ここはサーフィン以外も楽しめる場所で、バンドの生演奏にゴーゴーダンス、プールヘルパーのかわいい女の子たち。十人ほどのヘルパーさんは、いろいろ質問に答えてくれたり、行きたい場所や道順を案内してくれます。また流したサーフボードを運んでくれたりするので、ついボードを流してしまいます。
みんなとてもかわいい人ばかりですが、特に英語が話せるイタリア人と日本人のハーフのマリアが私のお気に入りです。彼女はダンスとサーフィンが好きと言っていましたが、ここでしかサーフィンしたことがないようです。
ダンスの合間にマリアと話すことができ、伊豆の白浜には10フィートの波があって、ライトもレフトも最高のサーフィンができることを話しました。彼女はうんうんとうなづき、完璧な英語で「サーフィンを教えてくれませんか?」と言ってくれました。”Stoked"って日本語で何ていうのかな?
以上SURFER MAGAZINE(Vol.8 #6)より
*1:ガラス製ではなくアクリル板だったようです。
*2:「サマーランド」とは言っていたけど「サーフ・ア・トリウム」とは言っていなかったように記憶しています。
FOLLOW ME
サマーランドのウエーブプールはサーフィン映画「Follow Me(1969年日本未公開)」にも登場しています。
映画「Follow Me」はアメリカのトップサーファー3人が世界を旅するハリウッド製サーフィン映画で、その旅で東京に立ち寄りサマーランドでサーフィンしています。
出演サーファーは、フロリダ州ココアビーチ出身のクラウド・コーゲン、マリブ出身のボブ・パーヴェイ、同じくマリブ出身の女性サーファー、メリー・ルー・マッギニスの3人。コーゲンは、CONサーフボードのライダーで、彼のシグネチャーモデル”CCライダー”はベストセラーモデルです。またパーヴェイがデザインした”The Ugly”もCONの代表モデルになっています。
映画には彼ら三人のデモライディング、和服で登場し、ビキニに着替えてサーフィンを教わるミチコ・タナカさん。そしてペリン氏のレポートにもあるバンド生演奏にゴーゴーダンサーなどの映像も記録されています。
surfer誌やサーフィン映画で取り上げられたサマーランドですが、その後サーファーに開放されていたかについては資料が見当たらず、話も聞いたことがありません。
サーフィン百科事典でも、サマーランドやウェンブリー以降作られたウエーブプールは、すべて一般市民に安全で楽しい水泳体験を提供するためだけに設計されたもので、サーフボードによる怪我などのリスクを考慮して許可されることはなかったと述べています。恐らくサマーランドに於いてもサーファーの利用はオープン後すぐに中止になったのではないかと思います。
1960年代の日本(4)に続く