サーフカルチャーって?

2020-01-02

今やオリンピックの種目にもなったサーフィン は立派なスポーツですが、それだけではない様々な魅力を持っています。サーファーの持つ価値観と海辺の街特有のおおらかな空気の中で時間をかけ育まれてきた文化がサーフカルチャーと呼ばれるようになりました。サーフムービー、サーフミュージック、サーフファッション等の言葉は他のスポーツには見られない独特なものものではないでしょうか。サーフィンはアートやライフスタイルにまで影響を与える特別なもの、あるいはサーフィン自体がアートと言えるのかもしれません。

60年代のサーフカルチャー

1960年ジョン・セバーソンが自身の制作した映画”Surf Fever”のプログラムとして”The Surf”を制作しました。このプログラムがその後の”サーファーマガジン”の前身となり、その雑誌には挿絵を担当したリック・グリフィン始め多くのイラストレーター、写真家、ライターなどのアーティストが携わっていました。60年代前半には、ビーチボーイズ、ジャン&ディーンのいわゆる「サーフミュージック」のヒットにより、全米で爆発的なサーフィンブームが起こり、音楽や映画に通じてアメリカのみならず世界中にサーフィンが認知されるきっかけとなりました。当時のファッションはボタンダウンシャツにショートヘアといったアイビースタイルで、68年くらいまでこのスタイルが続くことになります。またこの時代にサーフボードメーカー、アパレル、ウエットスーツメーカーなどのサーフィン産業が誕生しました。”サーファーマガジン”と64年に創刊された”サーフィングマガジン”はその後のサーフビジネスの拡大やサーフカルチャーの表現の場として大きく貢献することになりました。
ちなみに映画製作本数は63年16本、64年17本と他年と比べ特別に多く作られています。

”Surf Fever”(Right)と”The Surfer”(Left)のポスター 筆者所有

70年代のサーフカルチャー

69年のウッドストックでヒッピーカルチャーは頂点を迎え、若者を中心に大きなムーブメントとなりました。サーファーにとってもヒッピーが唱える反体制、東洋思想、自然志向は共感するところも多く、大きく影響を受けました。70年代を通じてサーファーのファッションやライフスタイルはヒッピーカルチャーをベースにしたものでした。
60年代半ばからサーフボードの材料が進歩し、ボードは短くなってきましたが、70年代に入るとさらに短く、アウトラインもシャープなものになってきて、波の上を動きやすく、またチューブの奥に入り易いものになっていきました。この時期、様々なデザインが試行錯誤のもと開発されており、今あるサーフィンに関するデザインはコンセプトの違いはあったとしてもほぼこの時期に誕生しているのではないでしょうか。またアートの面ではリック・グリフィン、ビル・オグデン、ジム・エバンスらが映画のポスター、ファッションブランドなどの広告を手がけ、サーフィン 雑誌を華やかに飾っていました。日本では75年に石井秀明氏によって”サーフィン ワールド”が創刊され、全国のサーフィン情報や海外のサーフィン事情などが紹介されるようになりました。またファッション面では77年に”ポパイ”が創刊され、アメリカンカジュアルやアメリカンカルチャーが一般に紹介されようになりました。ただサーファーのライフスタイルやファッションはそれ以前より、カリフォルニアやハワイを行き来していたサーファーや業界の人たち、あるいは米軍関係の人たちから直接湘南に持ち込まれ、それは一般の人たちとは違う独特なもの(例えば潮焼けした長い髪、半端なく黒い肌、バックプリントのTシャツ、ブーツカットのジーンズなど)で、東京(のメディア)を通さない生の魅力がありました。

80年代のサーフカルチャー

80年代サーフィン 界最大の発明は、81年にサイモン・アンダーソンが発明したスラスターと呼ばれるトライフィンではないでしょうか。全ての波にフィットするこのボードは、その後チューンナップされ40年経った今でも第一線で活躍しています。
82年には前身のIPS(International Professional Surfers)を引き継いだASP(Association of Surfing Professionals)が創設され、ワールドツアーが開催されるようになりました。サーフィン コンペティションをサーファーのみならず一般の人にもわかりやすいルールに作り変え、競技スポーツとしての基盤を作りました。また大企業のスポンサー獲得にも力を入れ、70年代のヒッピーベースの(ある種反社会的)なイメージを払拭してゆきました。また同時にサーフィン 産業は世界的に拡大し、多くのサーフブランドがグローバルブランドに成長しました。

日本では80年に大サーフィンブームが起こり、日本国中トロピカルムードで、原宿や渋谷には湘南以上サーファー風の若者が溢れかえりました。当然ビーチは大混雑となり、今までの秩序が乱されることによってトラブルも起こるようになりました。サーフィンをライフスタイルの一部にしていた人の中には、サーフィンをファッションと捉えることに異を唱える人たちも多くいました。

今思うと色々な出来事やトラブルを乗り越えてくることで、今のカルチャーが出来上がってるように思えます。